私の好きな小説家のなかに
森博嗣という作家がいるのですが、
工学博士として、大学の工学部で
教鞭をとる傍ら小説を書いているという
変わり種の作家です。
趣味は色々なモノづくりらしく、
家に大掛かりな作業場を持っている
という人なのですが、
自分の作った物にペンキを塗る作業が
大好きだそうで、その人が書いた
エッセイの中でペンキ塗に対して
興味深いことを書いていました。
ペンキを塗る作業中に自分が一体
どこを見て作業しているか考えたところ、
一見、刷毛の先を見ているようで
もう少し細かく分析してみると
実はペンキが塗られた面ではなく
今から塗ろうとしている面を
主に見ていることに気がついたそうです。
これは、既に作業を終えてしまった
ところを見ていても、仕方が無いので、
今から作業にかかろうとする場所の
情報を出来るだけ集めるために
そうしているのではないかということで、
逆にときどき作業を止めて
眺めるときなどは、塗り終わった
部分を眺めることが多く、
これは、作業を終えた部分の
出来上がりの確認と、
修正があれば修正するし、
これからの作業の方針を微調整する
ためらしいとのことでした。
こんなことを分析しながら、
ペンキ塗をやっていること自体も
とても面白いことですが、
さらに、刷毛の動かし方だけが、
ペンキ塗りの極意ではなく、
上手に塗るために最も大切なことは
ペンキを選ぶことと、
その濃度を的確に調整することで、
それは、塗り始める前に既に
決定していていると言っています。
要するに、ペンキを塗るという
作業をする前に、すでにその作業の
グレードはほぼ決まっている
ということです。
そして、今述べたことは、
他の多くの仕事にも同じように
共通するプロセスであり、
傾向であると考えられます。
この作家は、ペンキを塗るといった
単純な作業の中にも、人間が為す
あらゆる仕事の本質を見ることができ
そのように考えることは「抽象」という
行為であり、人間の思考の中でも
トップレベルの思考だと書いていました。
私はこのエッセイの一文を読んだ時、
なるほどと、感心したと同時に
とても共感を感じました。
抽象度を上げて考えるということは
まさにこのようなものの見方を
することであり、日頃から
そのような思考ができるように
心がけることは、何をするにおいても
とても重要なことだと思います。
何をするにも、全てをこと細かく
教えられなくとも、すぐに要領を得て
上手くなってしまう人がいますが、
そういう人は、日頃から抽象という
ことを自然と意識出来ていて、
全く違ってみえる作業にも
簡単に応用を利かすことが
できるのだと思います。
逆に何回同じことを言っても、
事細かに詳しく教えても、
全然上達しない人も中には
いると思いますが、
あれは何なのでしょうね。
集中力がないのか、
もともと興味がないのか・・・
仕事ができる人と出来ない人の差は
そんなところに原因のひとつが
あるのかもしれません。