私はクルマが好きです。
お金持ちになったら、
海外の高級スポーツカーを
買いたいと思います。
こんな風に書いたら、
あなたは私の事をどう思うでしょうか?
俗なヤツだな。
乗り回して自慢したいのか。
そんな風に思うでしょうか?
確かにお金持ちの中には、
ステータスや自己アピールの
道具として高級外車を乗り回して、
満足している人もいるとは思いますが、
私の場合は、美しいインストルメンタル(器具)
としての自動車が本当に好きなんです。
日本製の安いクルマでも、
それなりにカッコいいクルマは
あるじゃないかといった声や、
メイドインジャパンが一番性能が良い
といったご意見もあるでしょうが、
違います。
大きいパイをターゲットに想定し、
多売を目的としたプロダクトは、
どう転んでも、妥協の産物でしかなく、
そこには私の求める美しい
インストルメンタルは存在し得ません。
一切の妥協を排して、
ごく少数の人に向けて創り出された
プロダクトというものは、
研ぎすまされ、非常にエッジの効いた、
美しさを有している場合が
ほとんどだと思います。
そして、例外なく高額です。
なので、私の場合は、
フェラーリだから欲しいとか、
ランボルギーニだから所有してみたい
といったクルマの選び方には
一切興味がありません。
日本車でもそのようなレベルの
クルマが存在するなら
欲しいと思うこもあるかもしれませんが、
メーカー側の都合上、作る事は
まず無理だと思います。
今いいなと思っているクルマは、
イタリアのパガーニというメーカーの
ウアイラという名のスポーツカーです。
全てハンドメイドで作られていて
とても美しく、メカニカルで、
妥協のだの字もないほどに、
ネジの1本まで芸術的なクオリティを
持ったクルマです。
あまりにもエッジが効き過ぎていて
好き嫌いははっきりすると思いますが、
乗ってみたいです。
値段は1億円オーバーです。
私は、美しいものには魂が
宿ると思っていて、
人を感動させる力が潜在しています。
これはかなり絶対的な力で、
例えば、とても美しい女性モデルが
いたとして、実際のところは
性格も悪く、素養も大したことのない
人物であっても、写真に写る姿が
圧倒的に美しければ、そこには、
その人の人格は関係なく、
人を感動させる力が生まれるのです。
人情的には、内面的なものが悪ければ
美しいはずがないとか、
性格は顔にあらわれるとか、
カメラマンの技術だとか言いたく
なるのですが、違いますね。
逆に見た目がイマイチのダンサーが
震えがくるような美しい
ダンスパフォーマンスを演じた
場合もまったく同じで、
そこには人間の俗な感情が入る
余地のない、絶対的な美の領域が
存在しているのです。