バンドと人生の相関関係は恐ろしいのだの件

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私は若い頃、
バンドをやっていたことがあります。

中学2年の時に最初の
バンドを結成しました。

そして、そのことがキッカケで
自分の人生は180度違う方角に
梶を切ったと言っても過言ではないほど、
大きな出来事だったと思います。

私の中学生時代は、
自分で言うのもなんですけど、
結構、お利口さんの部類に
入っていたと思います。

成績は学年の上位1割の中にいましたし、
部活動は県大会では常に優勝候補だった
名門テニス部でレギュラーでした。
生徒会活動もやっていましたし、
当然、高校は県内トップ進学校を目指していて、
将来は物理学者になりたいと思っていました。

それがいきなりバンドです。

当時はまだ、バンド=不良のイメージが
残っていた時代だったので、
周囲からは完全にドロップアウトしたと
思われていたと思います。

で、バンドと言えば昔はロックバンドが
普通だったのですが、
私がやったのは、何とYMOのコピーでした。
当時富士フィルムのCMでYMOの
テクノポリスという曲が使われていて、
ん?なんだ?と思っていたら、
テレビの歌番組にYMOが出演し、
山のような演奏機材に真っ赤な人民服、
ノリノリな素振りは一切見せず、
演奏というよりは、機材の操作といった
イメージのスタイルに、完全にやられました。

もう、何かが降りてきた感じでしたね。
「オレはこれをやらなければならないのだ」
みたいな(厨二病ですね。おそらく)・・・

それで、何故かシンセサイザーを持っている
ヤツが同級生にいて、そいつを取り込み、
自分も何とか小遣いをやり繰りしてシンセを買い、
仲の良かったヤツらを無理矢理
ドラムとベースにして、キーボード2人の
計4人でスタートしました。

放課後の音楽室をジャックしたり、
近所の公民館を借りたりして、
夢中で練習していましたね。
そしてお約束の文化祭ライブをやったりして、
今考えると、本当に楽しかった。
日々充実していましたね。

そうこうしているうちに、
高校進学の時期となり、
志望校を決める訳なんですが、
結局、目指していた進学校へは行かず、
県立の工業高校へ行くことにしました。

理由は簡単です。

バンドの他のメンバーがその学校へ
行くことになったからです。
学校が離れてのバンド解散など
私の中ではありえませんでした。

それにその学校にはデザイン科というのがあって、
そちらの分野を目指す子たちは、
トップ進学校を蹴ってでも入学を希望するので、
ほかの科とは、段違いにレベルが高く
狭き門だと言われていて、
私は何故か昔から、美術の成績が
学年でトップクラスだったので、
親も先生も、私の志望にいぶかしながらも
何となく納得したようです。

5教科の点数的には余裕で合格ラインだったので、
専門科目の美術の勉強だけ
放課後に美術の先生に就いて勉強していましたが、
担任はまったく相手してくれなくなりました。

学校で必ずやらされる、
入試直前の全国模擬テストでは、
勉強もたいしてしていなかったのに、
自己ベストをたたき出してしまい、
我ながら「意味ねー」とか思いましたね。

高校に入ってもバンド漬けの生活は続き、
そのときのバンドは高校卒業と同時に解散、
その後、30代前半まではなんだかんだ音楽を続け、
仕事も専攻通りグラフィックデザイナーとして
現在も活動をしています。

あのまま、普通に進学していたら
今どうなっていたんだろうと
たまに考えますね。

普通にそれなりの会社に勤めて、
家族を持ち、子供は手を離れ
そろそろ老後の心配もしなきゃ。
・・・みたいな。

あーでも無いですね。
無理ですそんな生活。
私は昔から、度あるごとに
そんな方向は切り捨てながら
生きてきたような気がします。

保育園の卒園式に「アリとキリギリス」の
劇をやったんですが、
私はキリギリス役をやらされたんですよね。

あの頃から、私の役回りは
そんな感じだったのかも。

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